広寒楼苑

1景広寒楼苑

春香伝の背景として有名な広寒楼苑は、我々の先祖が自然に順応し、自然に似ようとする考えを表現した空間で、神仙が住む理想郷を地上に建設した、朝鮮時代の代表的な庭園で、名勝第33号である。慶会楼、矗石楼、浮壁楼とともに韓国の4楼閣に入るほど美しく作られた。

春香テーマパーク

2景春香テーマパーク

南原市ヤンリムキル南原観光地内に所在したところ(3万5千坪規模)で、イム・グォンテク監督の映画「春香伝」の撮影場所を含め、愛のテーマがある観光地として造成したところである。「春香伝」の純粋な愛を今日を生きていく人たちの心の中に盛り込んで、過去の愛とこれから愛を始める人たちが愛の思い出を作れるように造成されており、出会いの場、盟約の場、春香伝映画セット場、祭りの場など、愛をテーマにした5つの場で、春香テーマ一代記を再現している。

魂の火文学館

3景魂の火文学館

チェ・ミョンヒの大河小説「魂の火」を記念するために造成された文学館である。南原市巳梅面ノボンアンキルにある。魂の火文学館は展示館と教育館で構成されている。すべて韓屋である。展示館にはチェ・ミョンヒの肉筆原稿と小説の場面を形象化したジオラマがある。教育館は憩いの場のような場所である。サランシルとヌマルがある。

国楽の聖地

4景国楽の聖地

民族の魂が込められた我々の大切な伝統芸術'国楽'をもっと継承し、発展させていくため、智異山の麓の雲峰邑に造成したところである。東便制を完成させ、歌王の称号を受けたソン・フンロク先生の生家と一緒に、国楽展示体験館、独学室、野外公演場、国楽人の墓域、祠堂などが配置されており、器楽、声楽、名唱が寄贈した遺物などが展示され、パンソリをはじめとする韓国音楽のすべてを窺うことができ、体験できる場所である。

フンブ村

5景フンブ村

南原市阿英面城里村はパンソリ5つの中の一つである興夫伝の背景である。ここは伝わってくる説話と地名を根拠に、興夫が定着して金持ちになった発福地だったこたが明らかになった。この村には昔から福徳家、春甫說話が伝わってきている。興夫歌と春甫説話は、貧しさの末に金持ちになった人生の歴程、善徳を施すことを内容とするという点で、その内容が似ている。実際、城里村にはパク・チュンボ(朴春甫)の墓と推定される墓がある。毎年正月の半月に望祭壇で興夫を賛える春甫望祭を行っている。

実相寺

6景実相寺

智異山天王峰と向かい合って位置した寺で、新羅興徳王3年(828)にホン・チョク僧侶が建てた。新羅末期の仏法より参禅を重視した禅宗のいろんな宗派が全国の名山に寺を建てたが、実相寺がこのように建てられた九山禅門の中で最初の伽藍である。丁酉再乱の時に焼失されたせいで、粛宗の時に建物36棟を建て直したが、高宗の時に火災に遭い現在小規模に復旧した。庵である薬水庵と白蔵庵の文化遺産を含め、境内には国宝の白蔵庵三層石塔、宝物11点などがあり、単一寺刹としてはいちばん多くの文化遺産を保有している。

荒山大捷飛地

7景荒山大捷飛地

イ・ソンゲが荒山で倭敵を撃破した業績を記念して建てた戦勝碑があった場所で、全羅北道特別自治道南原市雲峰邑ピジョンキルにある。高麗後期には倭冦が国境と辺境を侵犯し、略奪行為をすることが多かった。倭寇が智異山方面を集中的に攻撃して来たとき、朝廷では三道統使のイ・ソンゲを出戦させ、倭寇を討伐させた。イ・ソンゲは義弟であるイ・ジランと共に1380年(禑王6)雲峰邑花水里の荒山一帯でも略奪を行う倭寇を完全に討伐して殲滅した。この戦いを荒山大捷という。

万人義塚

8景万人義塚

万人義塚は丁酉再乱(1597年)の時、南原城戦闘で殉節した民・官・軍1万人の護国の魂がある神聖なる場所である。
朝廷では南原城を死守するために全羅兵馬士のイ・ボクナム将軍が率いる1千の兵力と明の副総兵ヤン・ウォンの3千兵力に南原城を守るようにした。敵は8月12日南原に到着して城を包囲し、13日から16日夜まで激しい戦闘を繰り広げたが、衆寡不敵に城民6千人を含む1万人が戦闘の末、壮烈に全員戦死した。

万福寺

9景万福寺

全羅北道特別自治道南原市旺亭洞にある、高麗文宗の時に建てられた万福寺の跡で、麒麟山を北にし、南には広い平野をもった野山に位置している。
「東国輿地勝覧」巻之39、南原都護府「仏宇條」を見ると、「麒麟山の下にあるが、東に五層殿があり西に二層殿があり、殿内には銅仏があるが、長さが35尺(約10.6m)である。高麗文宗の時に創建された」と記録されている。また、朝鮮時代、粛宗の時に刊行された「龍城誌」の内容から見ると、万福寺には5階と2階に成された、仏像を祀る法堂があり、その中には高さ約10mの仏像があり、大雄殿をはじめとする多くの建物と数百人の僧侶が泊まる大きな寺だったと推定される。万福寺内には大雄殿、薬師殿、長育殿、霊山殿、雄宝殿、鐘閣、千仏殿、羅漢殿、冥府殿などの仏殿があったが、丁酉再乱(1597)の時に南原城が陥落されて、万福寺は燃えてしまった。

夢心斎

10景夢心斎

南原の夢心斎は朝鮮後期の全北地方上流家庭の典型的な家屋形態をよく保全している家屋である。南原から19番道路に沿って求礼方面に行き、再び60番道路に入り、低い坂一つを越えれば、貯水池に沿って松の木が並んだ虎谷村が見える。この村の奥に夢心斎がある。夢心斎は、ジェッドゥルから流れた水が家の前を丸く包み込んで流れる地点にあり、粛宗20年(1700)にパク・ドンシク(1753~1830)が山の下の暖かい場所に建てたと伝える。

蛟龍山城

11景蛟龍山城

百済時代、最初に築造されたと言われる山城である。南原市山谷洞の蛟龍山(518m)にある。石で積み上げたこの山城は総周囲が3,120mである。高麗末と壬辰倭乱当時には倭との戦闘が繰り広げた所でもある。城内には685年(神文王5)創建された仙谷寺がある。蛟龍山城は全北記念物第9号に指定されている。山城一帯は蛟龍山国民観光地で、南原市民が多く訪問している。

南原郷校

12景南原郷校

1410年(太宗10)に賢裕の位牌を奉安、配向し、地方民の教育と教化のため、府の西である大谷山の麓に創建した。享祀のたびに虎の侵害があるため、1428年に府の東の徳陰峰の下に移転したが、洪水のせいで道が止まれることが多かったので、1443年に再び今の位置に移転した。

鄭嶺峙

13景鄭嶺峙

鄭嶺峙は高さ1,172mで、全北特別自治道南原市朱川面と山内面にまたがっている智異山国立公園の坂である。坂の頂上にある鄭嶺峙サービスエリアは、智異山を一目に見ることができる展望台である。東にはパレ峰とペムサコル渓谷が、西には天王峰と細石平田の般若峰などと南原の市街地が一目に見える。智異山の主稜線の一百里を一目に見ることができる。

新渓里磨崖如来仏

14景新渓里磨崖如来仏

宝物第423号。3.4mの大きさで、一つの岩を彫刻して仏像と光背(光背:仏の体から出た光の表現)を刻んだ。鼻と両耳たぶの一部が壊れてなくなったが、全体的に保存状態が良好な方である。南原新渓里磨崖如来坐像に関するいかなる記録も残っておらず、具体的な造成背景は分からない。

Jeongnyeongchi Maeyeorae Buddha

15景鄭嶺峙磨崖如来仏

南原市山内面鄭嶺峙で、智異山開寧庵跡の裏の絶壁に刻まれた磨崖仏像群である。総12体の磨崖仏が巨大な絶壁に刻まれている。巨大仏をはじめとする3体は保存状態が良好で、銘文まで刻まれているという点で磨崖仏研究に大切な資料になる。開寧岩地磨崖仏像群は宝物第1123号に指定されている。

ペムサコル渓谷

16景ペムサコル渓谷

智異山の般若峰から半仙まで山の北斜面を沿って長さ14kmの谷で、智異山国立公園の中にある様々な谷の中で最も渓谷の美しさが優れたという谷に挙げられるところである。全区間が奇岩絶壁で成された渓谷には、100人が一度に座れるほど広い岩があちこちにあり、100個の大小の滝と沼が並んでいる。

九龍滝

17景九龍滝

九龍滝は智異山の西の万福台(1,438m)から発源し、南原市朱川面に流れる元川川の中間に形成された九龍渓谷の最上流に位置した滝である。元川川の上流にあるせいで元川滝とも呼ばれる。

Adamwon

18景アダム院

アダム院は本来、木を育てていた造園農園だったところで、過去10年間、丁寧に育てて美しい庭園に再誕生しました。木一本、草一けいまで厳しく選んで、管理して智異山の麓の秘境と共に立派なヒーリングの場を提供しています。

白頭大幹生態教育展示館

19景白頭大幹生態教育展示館

智異山の象徴性と白頭大幹の歴史・生態・保存に最適地である南原に白頭大幹生態教育場展示館が造成されました。展示館は朝鮮半島の地図の形状を模して作られた曲線の展示館の屋根の外観から、韓国の中心軸である白頭大幹のすべてを体験できる、様々な内容が展示されています。展示館の主要施設としては常設展示室、企画展示室、湖南では初めての5Dサークル映像館、カフェテリアなどがあり、付帯施設としては野外公演場、昆虫温室、体育施設などがあります。

白頭大幹休養施設

20景白頭大幹休養施設

智異山白頭大幹生態教育場体験休養施設は、人が住むにもっとも敵した高さである、海抜600~700メートルに位置しており、周りの松林から分泌されるフィトンチッドが豊かで、ヒーリングと休養、そして森林浴の最適地で、特に、全国で最初に作られたツリーハウスは、地上2メートルの木に設置されているため、夏になると草虫の音を聞きながら自然の美しさを楽しむことができ、ヒノキで作られ、周りから生成されたフィトンチッドと一緒に熟睡するのに役立ちます。